武部利男訳『白楽天詩集』

 詩の翻訳は難しい。特にその詩が韻文の厳密な形式によって書かれている場合はなおさらだ。意味だけ訳せればそれでよし、というわけにもいかないだろう。


 散文と韻文についての講義で、プリントが配られた。そこに並んでいるのは漢詩とひらがなの文字ばかり。ひらがなだけの文章というのはふつう読み辛いものだが、これは不思議と読みやすい。「音読してみてください」と当てられて、声に出して読むと驚いた。きちんと韻が踏んであるので、すらすら読める。厳密な韻文は声にだすと気持ちいいものだ。


 その本を探し出して手に入れた。絶版になっているようなので、中古でしか手に入らない。それがこの武部利男訳『白楽天詩集』だった。


 この翻訳の優れているところは、きちんと韻を踏んであるだけでなく、逐語訳といってもいいほど内容もきちんと訳してあるところだ。一つだけ引用してみる。


わたいれ

ケイシュウの ぬのは まっしろ
ゴの くにの わたは やわらか
ぬの おもく わたは ぶあつく
わたいれは とくべつ ぬくい


あさ きこみ ひねもす すわり
よる かぶり あさまで ねむる
ふゆの ひの きびしさ しらず
からだじゅう ほかほか はるだ


まよなかに ふと かんがえた
わたを なで おきて さまよう
ますらおは てんかを すくう
わがみだけ よくては すまぬ


すばらしい わたいれ ないか
ごっそりと せかいを つつみ
わたしほど みなを あたため
さむい ひとの なくなるような




 口ずさんでみればこの翻訳の素晴らしさが分かるはず。
 
 また、有名な「長恨歌」の最後の部分はこうなっている


しちがつ なぬか ほしまつり
リザンの みやの チョウセイデン
まよなか だれも いないとき
ふたりで そっと ささやいた


てんへ いくなら とりと なり
つばさを つらねて とびたいね
ちじょうに いるなら きと なって
えだ からませて すみたいわ


てんちは ながく ひさしいが
いつかは かならず つきるでしょう
この うらみだけ めんめんと
つきはてるとき ないでしょう



 もちろん元の白楽天の詩が素晴らしいことは言うまでもない。
 これほど優れた本が絶版になってしまっているのは残念なことだ。村上○樹とかいう人の本は何十万部も刷られているのに。