フケー『水妖記』・ジロドゥ『オンディーヌ』

フケーの『水妖記(ウンディーネ)』はいわゆる異類婚姻譚である。冒険をしに森へやってきた騎士と、そこに住む水の精ウンディーネが結婚する。しかし、水の精の掟によって、不貞を働いた場合は命をとられてしまう。これだけで筋は読めそうなものだが、大事なのはその描かれ方だ。

 この作品が書かれたのは19世紀初頭であった。その頃はヨーロッパで啓蒙主義が主流であった。しかし、ドイツで合理性ばかり追い求める啓蒙主義に反発するような文化的な潮流があった。それがロマン主義だ。(ここでは細かいことは省く)ロマン主義においては、カトリックや騎士道のような中世のものが重要視された。そして、フケーの『水妖記』は後期ロマン主義に属する作品だとされている。

 ここで書かれているのは魂の救済である。なぜか水の精は魂を欲しがっていて、それを得るためには人間と結婚することが唯一の方法であった。ウンディーネは魂についてこう語っている。

   「あなたがた(人間)はいつかは魂だけの清らかな生活にはいりますが、私たち(精霊)は死んでしまえば、跡には砂や火花や風や波が残るばかりです。」

 この「魂だけの清らかな生活」という言葉には、「肉体を滅ぼし、精神(魂)の救いを求める」ようなカトリックの特色があらわれている。騎士と結婚して魂を得たウンディーネは、これまでの無邪気な子どものような自由奔放な振る舞いは慎んで、一途で貞淑な女性に生まれ変わる。まさに聖母といった感じだ。(このヒロイン像にはフケーの思い出補正がかかっている模様)



 時は流れて20世紀、第二次世界大戦の頃に、フランスの劇作家ジロドゥがこの『水妖記』を翻案として、『オンディーヌ』という作品を書いた。題材も話の流れも大体同じである。しかし、時代が変われば描き方はガラッと変わる。比較しながら読んでみると面白い。やはり現代の作品なのでこっちのほうが読みやすいとは思う。
 『オンディーヌ』で描かれる水の精は、宮廷に行っても自由奔放な振る舞いを続ける。宮廷人とのやりとりは喜劇的だ。人間社会のルールを知らないオンディーヌは、本音と建前を使い分けられず、本音をズバズバ言ってしまう。人間社会など、自然から見れば滑稽なものに違いない。


解説も多くて分かりやすい。


 『水妖記』と『オンディーヌ』、どちらの水の精が魅力的かというのは難しい問題だ。(個人的には『水妖記』かな)この二つの作品に出てくる騎士は、どちらも浮気性である。わざわざ宮廷に連れていかずに森でずっと暮らせばよかったのではないだろうか。まあ『森の生活』を書いたソローですら二年くらいでやめてしまっているのだから、森での生活というのは案外退屈なものなのかもしれない。


参考文献
 ハイネ『ドイツ・ロマン派』
 ハイネ『流刑の神々・精霊物語』