聖遺物崇敬の心性史
イエス・キリスト、聖母マリア、四福音書記者、十二使途、洗礼者ヨハネ、旧約聖書の預言者・イスラエル王・族長、新訳聖書の東方の三博士、そして数多くの殉教者たち。
これらの人々は聖人と呼ばれ、彼らの遺体や彼らが触れたもの、縁のあるものは聖遺物と呼ばれている。それらの聖遺物がどのようにして崇敬されるにいたったのか、本書では主に神聖ローマ帝国を中心に解説している。
テーマとしてはなかなか珍しそうで、読んでみると意外と面白かった。
本物であることを示すために、聖遺物を入れる容器が重要性をもつようになっていき、金銀を用いて豪華に飾られたりするようになっていく。そして、容器自体がだんだんと芸術性を帯びていくようになり、中身よりも容器のほうが重要になるという転倒した関係をみてとることもできる。後には聖遺物をもつことは権力の象徴ともなり、贖宥状の代わりも果たすようになる。
物語が聖遺物に聖性を与え、聖遺物が物語に現実性を与えるといった相互補完の関係が生まれ、キリスト美術が発展した。
聖遺物が聖性を獲得するか否かは、それを扱う聖職者による「演出」の成功の如何にかかっており、ピーター・ブラウンはそうした聖職者を「インプレザーリオ」と形容している。
そういう意味では現代のテレビタレントやアイドルに対する崇拝に似ているともいえる。中身がどうあれ、演出さえ成功すればそれでいいのだから。
(キリスト教では「崇拝」はあくまで神に対してのみ使える言葉であって、聖人などは「崇敬」するものであったらしい。)